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35.大阪の基幹交通路
やがて地下鉄が入る現在の長堀通
 常に幅員に気を配った道路災害を生かした都市作り

 当区は太平洋戦争末期の徹底的な空襲により、地域の九〇%が焼き払われるという惨害をうけた。 その上、連合軍が進駐後、うつぼ地域を小型機の飛行場に利用しことも関係して大規模な復興土地区画整理が江戸堀・新町・堀江・松島・九条・本田九条安治川の六工区に分けてなされた。
 入り組んで突き当たりとなる道の多かった狭い幅の裏通りも直線化され、幾本も存在した堀割は埋め立てられた上、各々の工区には幾筋もの大路が敷かれることになった。「なにわ筋」「新なにわ筋」「中央大通」である。道路幅員は市内最大のものに設定され中央大通は八〇メートル、新なにわ筋は五〇メートルの直線が確保され、一番早く開通したなにわ筋でも御堂筋に匹敵する四〇メートルに設定された。
往時の西長堀川四つ橋以西
 昭和四〇年代になると、西長堀川が埋め立てられ、跡地は昭和三十六年十一月に廃止された北岸の市電道路と共に幅員五〇メートルの長堀通に生まれ変わった。 同四十八年には西長堀緑化道路として中央分離帯を幅広く確保して《長堀グリーンプラザ》が設けられた。
 こうして、従来の大阪の都心部になかった東西方向の基幹広路が中央大通とともに二路線も出現するが、南北方向の基幹広路を含めて全てが、対面通行を再び可能にする道路の魁として、大阪都心部の再開発に貢献した役割は測り知れないものがある。
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