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4.九島院と海亀伝説  
改築された黄檗宗独特の山門
開山龍渓禅師と寛文大津波

  九島院は現在、中央大通のすぐ西側の本田三丁目に所在する。江戸時代初期の寛永十年(1633)池山新兵衛一吉によって開発された衢壤島に彼が創建した寺院であるが、後水尾天皇の信任が厚く、「大宗正統禅師」の称号を賜っていた龍渓禅師(1602〜70)を招いて開山の祖と仰いだ。
  龍渓禅師は中国(明)からの渡来僧隠元に弟子入りして宇冶の万福寺造営を助けた高僧であった。
  寛文十年(1670)の八月十五日に九島院では開堂法要を行うため籠渓禅師を招いた。この招きに応じた禅師は、旬日、九条島に滞在して信者に佛法(黄檗宗)を説いていたが、同月二十三日、未曽有の台風が大阪湾に来襲し、当時の大阪湾の陸地の先端に位置した九条島に高潮による大災害をもたらした。この日、龍渓禅師は高潮の来襲にも読経をして動かず、座禅をしたままの姿で激浪の中へ入寂したと伝えられている。
 
「大亀通霊」と刻まれた亀の墓
 開堂法要の日、大阪湾に住する大亀が背に花をのせて祝意を表わしにやっ
て来る吉瑞にめぐまれ、人びとは喜んだが、九島院の亀の墓は、禅師の死とこうした伝説に基づいて祀られたものである。海亀は当時(十七世紀)の大坂の海浜部に数多く回遊していた。例えば敷屋町(靱)の亀祭催行の因となった1.5b余りの大亀は「敷屋町」の札をつけられて沖へ放生されたものの、また西国の漁師の地引き網にかかるという具合であった。人びとは亀に水火の難から逃れる願いをこめたのは云うまでもない。
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