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5.あみだ池和光寺 
現在の山門は一層戦災前は二層
堀江開発とともに勧請 信濃善光寺の本尊祀る尼寺

 和光寺は元禄十二年(1699)に信濃の善光寺から全長約四十五センチの金銅阿弥陀仏を本尊として移し祀った浄土宗の尼寺として知られる大阪の名刹である。
 堀江の地は、元禄期の都市再開発により新たに市街地となったいわゆる新築地で、江戸時代の初めのころは、まだ難波領の田地であった。しかし、長堀・道頓堀・西横堀・木津川に囲まれたこの地の川沿い、特に長堀沿いには土佐藩蔵屋敷との関連で材木市やその問屋が早くから盛んな商いをしていた。
本堂も今は鉄筋コンクリート造だ 
 また、あみだ池は堀江開発の前から存在し、そこに念仏修行の精舎が建っていたことは十万人講寄進の大手水鉢などの遺物が証明している。
 開発後の江戸時代には境内に演芸場や遊技場が立ち並びいつも賑わっていた。特に仏生会(旧暦4月)の植木市は大阪の名物行事として知られ、遠方からの参詣人の人気を集めたし、盆供養の時の賑わいも一きわ目だったもので昭和初期には地元の芸者衆による盆踊りが評判となった。十月十夜念仏の日も信者が群を成した。
和光殿裏の無縁墓碑には
由緒あるものも多数見受けられる
日清・日露戦役の
青銅製忠魂碑
 山号はあみだ池に所在する寺であり、智善上人が建立したところから蓮池山(れんちざん)智善院と号した。墓地には堀江界隈の居住者の墓が多く見られるほか海難事故による遭難船をつらねた碑や安政大地震の犠牲者に対する慰霊碑など、この地が海浜部に近い地域であったことを示す遺物がたくさん見られたが、長年の風化と空襲の火災による剥落が進んでこの数年でかなり整理されてしまった。
寺のシンボル、放光閣とあみだ池
 昭和三年五月改築の壮麗な本堂は、戦災により堀江一帯とともに灰壌燼と化したが、信仰深い人たちの協力もあっていち早く昭和三十八年に再建されたものごある。
 境内北側の阿弥陀池は昔より小さくなったが中央の放光閣も再建されている。阿弥陀池は山号の通り蓮の名所でもあったが、今はその面影もなく亀が静かに甲羅干しする存在にすぎない。
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