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45.戦没慰霊碑
土佐稲荷境内の
平和を祈る記念像
 五十年前の惨害に祈念 非戦の誓いは永遠なり

 大阪は昭和二十年三月十三日深夜から翌十四日未明にかけて、アメリカ 空軍B29二七四機の攻撃を受け、 その都心部は廃虚と化してしまった。
 特に当区の被害は大きく、区内の住宅のハ○%が焼失し、炎にまかれて亡くなった人は七六六人に 達するという悲惨なものであった。 その上、同年六月七日の空襲ではさらに焼跡に無数の一d爆弾が投下され道路があちこちで寸断された状態で終戦を迎えた。
和光寺境内の
戦没者慰霊碑
戦没戦災者鎮魂の碑
西六平和塔
 そのため、被災者が旧地に戻っ て再出発を目指すことが非常に困難であった事と戦後復興のための大規模な土地区画整理事業による道路と宅地の区画変更が実施され た事で、一部を除いてほとんどの土地が荒廃した焼跡のままの状態が永く続いた。
 
 それにもかかわらず、辛苦の末に復帰してきた住民たちは、この惨害を深く胸に刻み込んでおり、 ある程度、町の形態が整ってきた 昭和三十二年に、真先に、永遠の平和を求めて区内各所に相次いで記念碑を建立して戦没および戦災死 した地域の人たちの冥福を祈願し、 二度と戦争の火種を作らない決意を後世に伝えた。
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