わがまち百科

西区の史跡・名所・観光スポットをご案内します



「大阪市西区 わがまち今昔じまん」
<協賛>大阪中部ライオンズクラブ 
靭公園〜ほしか商業集団地帯にできた飛行場そして公園 〜
     
靭(うつぼ)公園は、昭和三十年(1955)十月に開園された約十ヘクタールの大阪市内で有数の公園である。
この靭公園の一帯は、古く元和八年(1622)に塩魚干鰯(ほしか)を扱う商人などによって初めて開発され、その商人が新靭など三町を成立させたところである。
  

土佐稲荷神社〜土佐藩大阪蔵屋敷の鎮守神から地域住民の神社へ〜
     
土佐稲荷神社を含む一帯は東側のマンモスアパートや区民センター・こども文化センターも含めて土佐藩山内家の大阪蔵屋敷であった。
土佐藩がこの地に蔵屋敷を置いたのは長堀川の完工とほぼ同時期(元和8年)で、他藩と異なり米穀だけでなく材木・鰹節・和紙・砂糖などの特産物を蔵物として大坂に運んで売りさばいていた。
土佐藩は、この蔵屋敷の邸内に鎮守社として稲荷社を祀った。

ガスタンク〜長年の務めを果たし生まれ変わるガスタンク〜
     
「境川のガスタンク」という呼称で長いあいだ大阪市民に親しまれた大阪ガス会社の二代目のガスタンクは球形である。
初代のガスタンクは石炭による発生ガスを溜めるタンクだったので、円筒形であった。その第一号のガスタンクは明治三十八年に三層基柱式ガスタンクとして完成し、百万立方フィートの容量はスエズ以東では最大規模のガスタンクといわれ、長く工業都市大阪の象徴であった。特に西長堀川に高速道路が架かるまでは道頓堀川の戎橋上の正面にガスタンクが望まれた。
そして、都市中心部でのガスタンクは不要になってきた。今、その広大な敷地は新たな時代を迎えて、多目的施設のドームスタジアムの建設に向かってスタートが切られた。数年後には地下鉄も稼働し、賑やかな新名所の誕生が予想される。

川口居留地〜居留地の夢は破れて兵庫へなびく西洋人〜
     
川口外国人居留地は明治元年七月二十九日から明治三十二年七月十七日まで満三十一年間の歴史をもった地域である。江戸時代の川口船手御番所と船蔵、それに船手奉行と船手大番組頭の屋敷地が安政条約にもとづいて治外法権の外国人居留地となった。従って明治32年の同日まで大阪市域からも外された特別な地域であった。