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9.川口居留地跡  
親切された居留地跡のレリーフ
  居留地の夢は破れて兵庫へなびく西洋人
 
 川口外国人居留地は明治元年七月二十九日から明治三十二年七月十七日まで満三十一年間の歴史をもった地域である。江戸時代の川口船手御番所と船蔵、それに船手奉行と船手大番組頭の屋敷地が安政条約にもとづいて治外法権の外国人居留地となった。従って明治32年の同日まで大阪市域からも外された特別な地域であった。
 道路と街区を外国人の指示により26区画に分けて造成し、永代借地権を競売した。その結果、イギリス13区画1/2、アメリカ5区画、ドイツ3区画1/2、オランダ フランスが2区画づつ所有した。
建設当初の外国人居留地

 木造の西洋建築と街路樹、ガス街灯など、西洋文明は大阪市民の目を驚かせ、新しい西洋の衣食住の文化になじませた。しかし、川の水深が浅いので港としての機能を果たし得ないため、居留地の商館はしだいに兵庫の方へ移っていった。やがてキリスト教伝導のための教会・病院・学校などが設立され、大阪の西洋文化発祥の地の使命を果たすことになる。
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